琉装
琉装は、中国大陸の漢服や日本の着物の影響を受けながら、琉球王国時代に発展した。16世紀頃の琉球王府時代に身分制度が確立され、その服装も身分や階級によって色、柄模様、布地の種別をもって区別していた。
身分は王家、一般士族、庶民に大別される。王族、士族の男性用の礼服は、黄色地を最上とし、紫・桔梗・水色・藍色等、階級別に冠や帯で示す。身分の高い女性が着飾る時には、俗にウミナイビと呼ばれる正式な女性用の衣装を着た。本来ウミナイビとは皇女様の事で、布には紅型(ビンガタ)と呼ばれている染め方をしたものを用いる事が多い。紅型衣装は、王族婦女子の礼服であったとされており、黄色地・水色・うす紅色の順でその柄の大小にも規制があったようだ。
基本的には、気温の高い沖縄での生活にあったような、和装のような帯を使わないゆったりとゆとりのあるデザインのものが日常使われていて、ウシンチーと呼ばれ、腰あたりに細帯を締めてその上から着物を着て、合わせたところをつまみ腰帯に挟んで着る。袖も広めで、風通しが良い様に工夫されている。
また士族婦女は絣(カスリ)や上布を、庶民は男女共に植物繊維の芭蕉布を着用していた。衣装同様、髪型や簪にも違いがあり、それらの王府時代の民族衣装を総称して琉装といい、沖縄の言葉では「ウチナースガイ」と呼んでいる。
王府時代の服制も1879年の廃藩置県をもって廃止され、現代の継承では、琉球芸能が重要な役割を果たしている。
玉冠
唐衣裳
黄色地鳳凰蝙蝠宝尽青海立波文様紅型綾袷衣裳
黄色地松雪持竹梅文様紅型木綿袷衣裳
紅色地龍宝珠瑞雲文様紅型平絹袷衣裳
胴衣と裙
ウシンチー
琉球国王の金簪
(阿吽の双龍と火炎宝珠の文様)
聞得大君御殿雲龍黄金簪(鍍金)
聞得大君(きこえおおきみうどぅん、チフィジン):第二尚氏時代の琉球神道における最高神女(ノロ)
真鍮の簪
木、ベッコウ、真鍮の簪
銀の簪
玉冠
(尚家伝来品)
皮弁冠(ひペんかん)、また方言では玉の御冠(タマンチヤーブイ)と呼ばれ、中国の明朝時代、琉球国世子(皇太子)が、明の皇帝から冊封を受けて名実ともに琉球国王になる際、皇帝から皮弁服とともに下賜された王権の象徴的なもの。現存する皮弁冠は、清朝の時代、明朝の制を踏築しつつ琉球独自に作製したもの。明代の白皮製、7条から黒縮緬の表地に12条 の金糸の筋を置き、金、銀、水晶、珊瑚など266個の玉を金の鋲でとめている。
唐衣裳
(尚家伝来品)
皮弁服で、中国明朝の礼服である。清代には皮弁服の下賜はなく、反物が下賜されたため、その反物を用いて、明代の制にならって琉球独自で作製した。現存の皮弁服は、茶の繻子地に立波、龍、瑞雲などの吉祥模様が表されているが、龍文様から、御蠎緞(ウマントン)と呼ばれた。
皮弁冠、皮弁服の装束は、冊封使渡来の際や正月の儀式に用いられた。
紅型
紅型は一枚の型紙を繰り返し用いるのが基本であるが、二枚以上の型紙を用いた「鎖型(クサイガタ)」や型紙を重ねて用いた「朧型(ウブルガタ)」などの多様な作品がある。文様意匠には、龍や鳳凰などの中国的なもの、尾長鳥や菖蒲などの日本的なものがあり、地色は王家のみに許された黄色地のものなどがある。
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黄色地鳳凰蝙蝠宝尽青海立波文様紅型綾袷衣裳 (きいろじほうおうこうもりたからづくしせいがいたつなみもんようびんがたあやあわせいしょう) 肩と背に鳳凰と瑞雲、裾に嶮山・立浪・火炎宝珠を配し、胴に蝙蝠や竹・丁字などの中国的な吉祥文を散らした紅型衣裳。清代の官服に用いられた海の波と波涛を図案化した文様「海水江芽文」を写しており、国王の正装衣裳「皮弁服」の裾部と一致する。格式の高い文様から、公的な場面で着用されたものとされる。 |
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黄色地松雪持竹梅文様紅型木綿袷衣裳 (きいろじまつゆきもちたけうめもんようびんがたもめんあわせいしょう) 女性の冬物衣裳で、綿御衣(ワタンス)という。ドゥジンとカカンの上から羽織って着用する。表地は王家の象徴である黄色地に日本の古典模様の松竹梅と雪持笹が染められている。裏面は同じ黄色地に卍型をななめにつなげた連続模様の紗綾形と桜模様が染められている。地色の黄色は植物染料の上から石黄が施されている。 |
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紅色地龍宝珠瑞雲文様紅型平絹袷衣裳 (べにいろじりゅうほうじゅずいうんもんようびんがたひらぎぬあわせいしょう) 少年用で冬物の紅型衣裳。宝珠を挟んで向かい合う龍が、瑞雲とともに描かれている。この宝珠双龍文様は、近世琉球の王権を象徴する文様であり、王家の衣裳などに用いられた。 |
各種の織物
織物には、芭蕉、苧麻、絹、木綿などの素材が用いられ、平織りの絣や縞、紋織の花織や絽織などがある。なかでも色絣や芭蕉の花織、紋紗地花織など尚家ならではの逸品とされている。
胴衣と裙
(ドゥジンとカカン)
王国時代に士族女性が礼装の際に着用した琉球独特の衣裳である。
ドゥジン(胴衣)は、腰丈までの長さの上着で、下にさらに白や赤の無地の胴衣を重ね着した。カカン(裙・裳)は、下半身に巻くスカートで、全体に細かいプリーツがとられている。
ドゥジンとカカンは対になり、さらに上に、夏は苧麻で織られた田無、冬は袷衣裳のワタンス(綿衣)を、帯をせず、ゆったりと羽織るように着用した。
ウシンチー
帯をしめないで、着物の襟の下方を袴(下着)の紐にはさみ込む女性の着付の仕方を言う。肌と着衣との間にたっぷりと隙間ができて風が自由に通りぬけるので、暑い沖縄の風土に適した着付けといえる。「花風」や「浜千鳥」などの着付けがウシンチーである。
簪
王以下庶民までが用いた簪には本簪と副簪があり、国王は金製で花の部分が龍の模様、王子・按司・三司官は金製の葵形、親方は花が金で茎が銀製、一般士族は銀製、平民は真鍮製、ベッコウ製、農民は木製など身分により異なった素材のものを挿していた(平士以下庶民までは水仙形とされていた)。
男性の本簪を「髪差(かみさし)」、副簪を「押差(うしざし)」と言い、六角形の竿の頭部に花型がついていて、女性の本簪を「ジーファー」、副簪を「側差(そばざし)」と言い、女性の立ち姿を模して作られている。
ジーファーは女性が唯一使うことのできる護身のための武器にもなった。また、その昔とある家が火事になった時、その家の女性が挿していたジーファーを投げ入れたら、鎮火したという話もある。
奄美大島ドギン |
絹の紺地錦織で雲竜文。中国清朝の官服を仕立て直したものと考えられる。 |
水色地に藤・葵・水蓮・扇・流水などの文様を、大胆な構図で表現している。一部、文様を刺繍で表現している。 |
型染。花菱文の地紋に図案化された花文を帯状に配している。 |
久米島ドギン |
久米島「兼城ノロ」の衣裳。水色地の紅型。 |
久米島「謝名堂神女」の衣裳。祭祀の際に着用する。 |
参考:那覇市歴史博物館、那覇市役所、沖縄県立博物館