琉球舞踊

琉球舞踊 Ryukyu Dance


琉球舞踊は琉球王国時代、国王の戴冠式の際に中国皇帝から国王に任命する辞令書を携えて来琉する冊封使(さっぽうし、中国皇帝の名代)を歓待する為に創作された古典舞踊(御冠船踊うかんせんおどり)と、明治以降昭和まで新たに創作された雑踊りを含めたものである。内容の豊かさと格式の高さにより、2010年9月に国の重要無形文化財に指定された日本を代表する芸能である。


冊封の歴史

琉球が歴史に登場するのは、明の大祖が1372年琉球の中山王察度(ちゅうざんおうさっと)に冊封を要請したことに始まる。元を滅ぼした明は韓国、琉球、ベトナム、インドネシアなど東アジア諸国にも同様なことを要請したようである。琉球では察度の子の武寧ぶねいから始まり、最後の尚泰(しょうたい)まで約500年間に22回の冊封が行われた。


琉舞の分類

冊封使は中国(福建省)から北風にのって来琉し、南風にのって帰国するのでおよそ半年間も滞在した。その間、琉球では冊封使をねぎらうために7つの宴を行ったが、その中でも特に中秋の宴、重陽の宴、拝辞の宴の3宴は首里城内に舞台を設置して芸能を行う。この宴に出演するのは王府に仕える士族の子弟と決まっており、彼らはそのことを大変誇りにした。琉球舞踊が宮廷舞踊とも呼ばれるのはそのことに由来する。現在舞踊家によって継承されている琉球舞踊はこの流れを汲む古典舞踊約23演目と明治、大正、昭和に創作された雑踊り約16演目があり、これを分類すると次のようになる。

古典舞踊

老人踊り
演目:かぎやで風節(かじゃでぃふう)、長者の大主(ちょうじゃのうふしゅ)

宴の冒頭で踊られる祝儀舞踊で、子孫繁栄と長寿をその主題とする。よく演目のはじめに演じられ、伴奏にのって踊る。老人はリンファーモーと呼ばれる帽子に白ひげ、老女は白髪に扇を持って踊る。

若衆踊り
演目:特牛節(くてぃぶし)、四季口説(しきくどぅち)、若衆揚口説(わかしゅうあぎくどぅち)、若衆ゼイ

若衆(元服前の少年)の、前途を予祝し、逞しく成長してゆく若衆を寿ぐ意味合いが強い踊りである。若衆は、男でも女でもない無性とし、衣装は振袖、引羽織をまとい、赤色の足袋を履き、髪は中性の真結い(まーゆい)を結い菊花や金花などの飾りをする。王朝時代には多くの演目があったが、今日まで知られる物は少なくなった。

二才踊り
演目:上り口説(ぬぶいくどぅち)、下り口説(くだいくどぅち)、前之浜(めーのはま)、ゼイ、湊くり節(んなとぅくいぶし)、揚作田(あきつぃくてん)、江佐節(えさぶし)

<組踊から派生>
演目:高平万歳(たかでーらまんざい)、波平大主道行口説(ふぁんじゃうふぬしみちゆきくどぅち)、久志の按司道行口説(くしぬわかあじみちゆきくどぅち)

二才(元服した青年)の栄えや、五穀豊穣を寿ぐ内容が主。古典舞踊の中で二才踊りが特異なのは、冊封使の前ではなく、1609年の薩摩藩の侵入後、在藩奉行の前、あるいは江戸上りで披露されたという。衣装は黒色の袷に白黒の脚絆に白足袋を履き、髪は成人男性のカタカシラにカンサシ、ウシザシの2本の簪で留める侍風のいでたち。踊りの手にも、空手や棒術など武道の手が取り入れられ、力強い踊りとなっている。

女踊り
演目:綛掛(かせかけ、かしかき)、作田節(つぃくてん)、柳(やなじ)、天川(あまかー)、本貫花(むとぅぬちばな)、諸屯(しゅどぅん)、伊野波節(ぬふぁぶし)、芋引(うーびち)、本嘉手久節(むとぅかでぃく)、稲まづん(いにまじん)、瓦屋節(からやーぶし)、女特牛節(いなぐくてぃぶし)、本花風(むとぅはなうー)、四つ竹(ゆちだき)、踊りこはでさ節

古典舞踊を代表する踊りで、衣装は紅型と赤地の胴衣(どぅじん)、下半身には裙(かかん)を着け、腰に巻いた紫帯に紅型の襟袖を挟む「前壺折り めーちぶり」の着付けに赤足袋を履き、髪は垂髪(かむろう)を結い、椿や水引などの花飾りをつける。主に愛や恋を主題としている。踊りは、舞台下手から出る「出羽(んじふぁ)」、主題を成す「中踊り(なかうどぅい)」、舞台下手へ帰る「入羽(いりふぁ)」の三部構成を基本としている。女踊りの中でも、玉城朝薫が創作したと言われる踊りを、「古典女七踊り」または「真踊り」と呼ぶ。

打組踊り
演目:醜童(しゅんだう)

男女あるいは美女と醜女、という風に対照的な関係にある者たちの心の持ちようを主題とした踊りで、古典舞踊では醜童のみである。醜女は仮面を付けて踊る。


雑踊り(ぞうおどり)

演目:花風(はなふー)、むんじゅる平笠(ひらがさ)節、浜千鳥(ちぢゅやー)、加那よー(かなよー)、加那よー天川(かなよーあまかー)、貫花(ぬちばな)、取納奉行(しゅぬぶじょー)、汀間当(ていまとぅ)、松竹梅、秋の踊り、黒島口説(くるしまくどぅち)、金細工(かんぜーくー)、川平(かびらぶし)、越来よー(ぐぃーくよー)、馬山川(ばじゃんがー)、戻り駕籠(もどりかご)、仲里節(なかざとぶし)、谷茶前(たんちゃめー)

庶民の生活や思いを主題とした踊りで、躍動感溢れる軽快な踊りが特徴的。衣装は、芭蕉布や絣など日常の着物で踊られ、当時の風俗習慣が映し出されている。


創作舞踊

演目:日傘踊り(ひがさおどり)、糸満乙女(いとまんおとめ)、わたんじゃー舟、パーランクー、葉かんだ(ふぁーかんだ)、す玉貫花(すだまぬちだま)、水かがみ、綾(あや)、仲島の浦(なかしまのうら)、清ら百合

戦後隆盛した伝統芸能活動中で生み出された新しい踊りである。

古典舞踊、雑踊り、創作舞踊の分類は以上のようになるが、芸能研究者の折口信夫は祭りや芸能を演ずる目的は「かまけ技(感染呪術)」にあると説いている。まさに琉球舞踊はその説のとおりで、沖縄ではそのことを「あやかる」と称する。 観衆は老人・老女を見ることによって長命にあやかり、若衆踊りを見ることによって常に若々しくなると信じる。上り口説と下り口説は琉球と薩摩の往来を踊ったもので、その踊りには航海安全の祈りが込められており、七・五調の歌詞には薩摩芸能の影響がうかがえる。女踊りは八・八・八・六調の琉歌にのせて踊るが、その踊りのテーマは男女の情愛である。特に踊り手は深い情念を極力表面に現わさずに胸の奥へ奥へと包み込むようにする。女踊りこそは琉球の風土の中から生まれた最高の芸術だと言えよう。中でも打ち組踊の「しよんだう」は珍しく琉球舞踊の中で唯一仮面を被る踊りで、コミカルな動きと仮面には韓国芸能の影響がうかがえる。 雑踊りは廃藩置県によって琉球王国が士族の支配から解放されて市民社会になったことで、遊女や田舎娘、漁夫などが踊りの主人公となって舞台に登場する。当時の社会状況が如実に反映された踊りとなっている。


古典舞踊

かぎやで風(老人踊り)


高平良万歳(二才踊り)


前之浜(二才踊り)


諸屯(女踊り)


四つ竹(女踊り)

雑踊り

浜千鳥


加那よー天川


貫花

祝い節